ヤマカンです。名古屋アサヒは、朝日新聞名古屋厚生文化事業団が、大阪アサヒ開設2年後の1955年(昭和30年)、青少年の健全育成を目的として、犬山市の木曽川河岸、モモタローキャンプ場で始まりました。

この名古屋の2年目、大阪アサヒの1期生だった伊藤信三さん(のぶぞうさん愛称イトハン:尊敬してやまない大先輩です。親しみも込めてさん付けで書かせていただきます)が名古屋事業団に就職、キャンプ担当者となり、モモタローキャンプ場の運営、1961年の梶島の立ち上げなどで活躍されました。

奥様の英子様(デコちゃん)も大阪アサヒの1期生で、名古屋アサヒの3期生~8期生前後の大学生カウンセラーと家族ぐるみのお付き合いをされ、それはそれはとても仲の良い集まりが半世紀以上続いています。つい先日、この記事のことで英子様とお電話でお話ししましたが、「人と人とのつながりで豊かな人生になりました」と話して下さいました。

名古屋のキャンプ事業は最初、福祉施設の入所児や知的障害児者、身体障害児者が対象の中心でしたが、3期生だった加古善英さん(カスターさん)が1963年(昭和38年)に就職、その年の夏から一般募集の「少年少女キャンプ」を始めて1971(昭和46年)年まで行っています。

藤井三弥子さん(22期ペラ)は、この梶島での「少年少女キャンプ」に1969年(昭和44年)小学5年生の時に参加し、大学生のお兄さんお姉さんに憧れ、「絶対大学生になって、アサヒキャンプカウンセラーになるんだ」、と心に誓ったそうです。

小竹英樹さん(5期ちくわさん)は、モモタロー、梶島両キャンプ場での熱心な活動が認められ、朝日新聞記者になり、1990年代後半、事業団事務局長として、再びアサヒキャンプに関わりました。